恋人から見捨てられるのは誰でも不安なものです。その不安が大きすぎて常軌を逸している状態を「見捨てられ不安」と言います。
恋愛における見捨てられ不安はいくつかの行動パターンを生み出します。
「見捨てられる苦しさを味わうくらいなら最初から親密にならないでおこう」と考えると回避依存の傾向を示します。
「ダメ男なら自分を見捨てることもないだろう」と考えると恋愛依存症のマイナスのサイクルに陥ります。これらはカウンセリングを行っていると頻繁に出会うパターンです。
これらのパターンに当てはまらなくても不安を抱えて常に相手のことばかり考えてしまったり問題行動を起こしてしまいます。
見捨てられ不安については境界性パーソナリティ障害について説明される文脈の中で言及されることが多いです。
しかし恋愛における見捨てられ不安はそれと異なる部分を持つのではないかというのが私がカウンセリングを行っている中で感じていることです。
今回は研究とカウンセリングから考察した恋愛における見捨てられ不安の特徴とその克服方法について説明したいと思います。
見捨てられ不安の特徴
見捨てられ不安を持つ人の特徴としてちょっとしたことでも大きく受け止めて「全か無か」という二極思考へと陥ってしまうということが挙げられます。
相手からの連絡が少し遅れただけで不安になり数分おきどころか数秒おきにチェックしないと落ち着かなくなります。
やがて「このまま永遠に連絡がこないに違いない」と極端な思考が生まれてきます。
会話をしているときも意見がほんの少し食い違うと「彼氏はもう私のこと好きじゃないんだ。別れたいと思っているんだ」と傷ついてしまうのです。
連絡がつかない不安とストレスが怒りの感情を沸き起こし相手を壊したい攻撃したいという欲求が抑えきれなくなることもあります。
(関連記事:アダルトチルドレンの怒りが爆発するとき)
また衝動的になると自分から恋人の元を離れていき「やはり見捨てられた」という思いを強くして後悔することもあります。
そして再び元の関係に戻るということを繰り返すのです。ヨリを戻すことが出来ないとストーカー化したり暴力に訴えることもあります。
それが落ち着くと別の依存対象を見つけることになります。
会えない時間のほとんどを「相手に見捨てられるのではないか」という被害妄想に費すため不安は増大し続けます。
「見捨てられる」という不安が恋人への執着を強くし衝動的行動を引き起こすこともあります。
見捨てられ不安の人の心には喪失感や焦燥感、爆発しそうなイライラなど負のエネルギーが常に渦巻いているのです。
見捨てられ不安の原因
見捨てられ不安の原因は幼少期の親との愛着形成の問題にあることが多いです。
発達心理学者のエリク・H・エリクソンは人間の一生を8つのステージに分けました。そしてそれぞれのステージごとに獲得すべき課題(ライフタスク)があると提唱しました。これを発達段階説と言います。
この課題の獲得がうまく出来ないと人間関係に支障を来たしてしまうこともあるとされています。
人間の赤ちゃんは生まれて最初の数ヶ月を経過すると母親と他者を区別するようになり目で追ったり後追いをしたりするようになります。
母親に対して特別な感情を抱きはじめるのです。このとき母子間に生まれた情愛の絆が「愛着(アタッチメント)」です。
そして母親の姿が見えなくなると不安や悲しみを示します。これを「分離不安」と言います。
この時期に母親から無条件の愛情を受けることによって自分には価値があるということと他者は信頼できる存在であるという感覚を得るのです。この世界に居心地の良さを感じるのです。
ここで獲得すべき課題は「基本的信頼感」ということになります。この時期に養育者の不適切な行為や不在があると不信感のほうを強く持ってしまい対人面における性格的な偏りが生じてしまうことがあります。
最初に母親との間に愛着を形成できるかどうかがその後の他者との接し方にも影響を与えると考えられます。
2、3歳頃になると母親と多少離れても不安を感じなくて済むようになります。
それまでの経験から母親の行動や感情が推測できるため「必ず戻ってくる」という確信を持てるからです。
この時期に「自律性」という課題を獲得します。第一次反抗期がやってくる時期でもあります。これは自我の芽生えとして大切なことです。
(関連記事:反抗期のない恐ろしさ)
母親がそばにいてくれる安心感があると自分から興味のある方へと動いていくこともあります。
母親を安全基地と考えることでその範囲において好奇心の赴くままに行動することができるのです。
イギリスの精神科医であるドナルド・ウッズ・ウィニコットは「ひとりでいられる能力(the capacity to be alone)」がないと寂しさや絶望感を感じてしまうと言いました。
このひとりでいられる能力は「母親と一緒にいてひとりだった」という体験によって育てられます。
母親のそばでひとりで行動した体験がひとりでいることにやすらぎを感じられる能力へとつながると考えられるのです。
見捨てられ不安を持つ人の中には「私は虐待やネグレクトもなく両親からの愛情をいっぱいに受けて育ったはずなのに……」という人もいます。
一見、健全な家庭環境で育ったように思える人でも母親もしくは父親の過保護によりひとりの体験をする機会が少なかった場合は見捨てられ不安を抱えることがあります。
自分に直接の危害がなくとも両親が不仲であればそれが原因となることもあります。
このように見捨てられ不安やひとりでいることの不安は乳児期や幼児期の愛着の形成とひとりの体験の影響を受けている可能性が高いと言えます。
愛着形成の問題は生きづらさにつながることでもあります。
(※最初の愛着形成は母親との間にしか出来ないわけではありません。父親との間にも出来ますし血縁のない施設の職員との間にもできます。)
愛情確認のための試し行動
先ほど説明した人生のサイクルの中の乳児期から幼児期にかけて養育者が変わることがあるとその相手を困らせるような行動を取ることがあります。
このような行動を「試し行動」と言います。
なぜ試し行動をするかというと「愛されているという確信」が持てないからです。
自分は愛されていないのではないかという不安な気持ちを抱えているのです。
それを直接親に聞くことは怖いため困らせる行動をとることで自分をどこまで受け入れてくれるか試しているのです。
このときに新たな養育者がどう反応するかによって他者への信頼感に影響を与えます。
試し行動は実の親に対しても行われます。
親が仕事で忙しかったり、下の兄弟姉妹が生まれてかまってもらえなくなったときに子供がわざと親を困らせる行動を取ることがあります。
わざと物を壊したり食べ物をこぼしたりします。これらは全て孤独を感じ愛情に不信感を持っているがゆえの行動です。
このときに「ママは良い子じゃないと嫌いになっちゃうよ」などと言ってしまうと不安はより大きくなります。
試し行動をするときに子供が欲しているのは「~だから好き」という条件付きの愛情ではなく「存在しているだけで好き」という無条件の愛情だからです。
(関連記事:自分のことが嫌いで苦しいのはあなたの責任ではない)
見捨てられ不安を抱えている人の中には大人になった後でもこの試し行動をしてしまう人が多いです。
恋人からの愛情に確信が持てないためわざと相手を困らせるようなことをします。
嫉妬させるために他の男性の影をちらつかせてみたり、リストカットなどをして相手を脅迫するようなことをしたりします。
しかし試し行動は一歩間違うと相手側が「愛情が冷めた」と感じてしまい別れにつながってしまうことがあります。実親のようにコントロールすることは出来ないのです。
自分としては愛情を確認するための手段として行った行動によって別れを切り出されることで「見捨てられた」と感じてしまいます。
すると余計に「自分は愛されない存在」という認識を強めてしまうのです。
大人になって生まれた見捨てられ不安
大人になってから生まれる見捨てられ不安には2つのパターンがあります。
1つは先ほどまで説明してきた子供時代の愛着形成の問題が何らかのきっかけによって表出するパターンです。(学生時代のいじめ等が原因となることもあります)
それまではパートナーに依存することはなかったのに何らかのきっかけを境に依存し見捨てられ不安を持ってしまうのです。
愛情不足等によって健全な自己肯定感が育まれていない人の場合無意識のうちにそういった環境へと向かってしまうこともあります。
「自分は愛される価値がない」という潜在意識の思い込みが行動に影響を与えているということです。
そしてもう1つは恋人の影響やトラウマです。
見捨てられ不安は必ずしも子供時代の愛着形成の問題によって生み出されるわけではありません。
子供時代に問題がなくとも大人になった後に付き合った恋人の影響で見捨てられ不安が生じることもあるのです。
恋人からの裏切りや突然の婚約破棄などがきっかけとなってその後に付き合った人に対して「今回も同じことになるのではないか」と不安を覚えてしまうことはあります。
そして過度の束縛をしたり頻繁な愛情表現を求めるようになります。
女性のアイデンティティ(自己同一性)
恋愛における見捨てられ不安を持つ人のカウンセリングを行っている中で女性特有のアイデンティティについて考えさせられることがよくあります。
これはエビデンス(科学的根拠)のある研究が存在するわけではないのですが私の中では一部の女性相談者に対してほぼ確信に近いものを持っていることです。
自分がなぜ彼氏や夫に対してのみ依存してしまうのか分からない人のヒントになるかもしれませんので説明したいと思います。
その特徴の中に見捨てられ不安を持つ「境界性パーソナリティ障害」と診断される人は女性の割合が高いです。
恋愛において見捨てられ不安を持つのも女性のほうが多いです。
境界性パーソナリティ障害の場合は依存する相手は彼氏など異性のパートナーに限らず同性の友達や家族という場合もあります。
しかし恋愛において見捨てられ不安を持つ人は彼氏以外には全く依存しないという人もいます。
これは見捨てられ不安を持つ人の中でも恋愛至上主義の人が彼氏にのみ依存するということではありません。
女性特有のアイデンティティの確立に原因があるのではないかと思います。
アイデンティティとは自己同一性(自我同一性)とも訳されますが心理学の世界では自分が何者であるかを知っていることであり環境や時間によって変化を受けない不変性や連続性に対する自信などと説明されます。
青年期に獲得されるべき課題でもあります。しかしこのアイデンティティの説明は青年期の男性をモデルにしたものと考えられています。
アメリカの心理学者キャロル・ギリガンの研究によると男性がアイデンティティについて人間関係を語るときは他者との分離を語りますが女性は他者との相互依存を語るとのことです。
これは依存症的な依存ではなく他者との関係の中で自己を定義するということです。
これは私が日ごろのカウンセリングを行っている中でも実感することがよくあります。
そしてどのような他者との関係の中で自己を定義するのかは個人個人で異なっています。
恋人の場合もあれば友人の場合もあります。自分の親や子供である場合もあるのです。
恋愛における見捨てられ不安を持つ人は恋人や配偶者などのパートナーとの関係においてのみ自己を確立すると思っているということです。
そのため恋人に見捨てられることを極度に恐れるのです。
なぜなら恋人との関係を失うということは自分の存在を定義するものを失うということだからです。
誰かの彼女であるということが自分のアイデンティティになってしまっているのです。
ダメな彼氏の面倒を見ることで自分の存在意義を感じる女性や、彼氏に甘やかしてもらうことで大切にされているという実感を常に得ていたい女性にもこういった現象が起こっていることがあります。
他人との関係でしか自己を確立できないという思い込みが見捨てられ不安を増大するのです。
(※女性の中にも分離によるアイデンティティを確立する部分もありますし、男性の中にも他者との関係においてアイデンティティを確立する部分はあります)
克服方法:心のクセを修正する
見捨てられ不安を克服するためには普段使わない思考回路を意図的に使い訓練することです。
恋人同士の別れは必ずどちらかが見捨てるわけではありません。
自然消滅やどちらかの気持ちが冷めてしまうことで関係が清算されるケースのほうが圧倒的に多いのです。
しかし見捨てられ不安を抱えた人は別れを全て「捨てられた」と認識します。
無意識に身につけた自分に対する誤った信念がこのような思考を生み出し強化しているのです。
見捨てられ不安が生まれる流れ
人間は誰でも思考の元となる心のクセを持っています。これを心理療法では「スキーマ」と呼びます。
これは自分や社会に対する確信のようなものです。人によって持っているスキーマが違うため同じ場面に遭遇しても異なる思考が生まれるのです。
「私は何をやってもダメな人間」というスキーマを持っている人は何かにチャレンジするときに「失敗するだろう」という思考が浮かびます。
スキーマは生まれ持った気質や環境によって頭の中に自然に形成されていくものですから自分がどんなスキーマを持っているかは気づかないことが多いです。
そのため自分の思考が偏っていたとしてもそれが正常な状態であると思って克服することが出来ないのです。
見捨てられ不安を持っている人は「自分は価値がない」「愛されなければ生きている意味がない」などのスキーマを持っている可能性が高いでしょう。
自分に価値がないと思っているから連絡がつかないだけで「見捨てられる」という極端な思考になってしまうのです。
同じような事態に遭遇する度に同じ思考回路(脳内の神経細胞のつながり)を使うとそこばかりが強化され繋がりやすくなります。そのため余計に他の考え方が出来なくなってしまうのです。
見捨てられ不安を抱えている人はちょっとした刺激を全て「見捨てられる」という思考へつなげる回路が強化されているのです。
また見捨てられ不安を抱えている人は自分を見捨てることにつながりそうな相手の言動にばかり注目しているともいえます。
これを克服するためには意図的に考え方を変える必要があります。
具体的な方法
具体的な方法を説明します。例えば彼氏からの返信が遅くて見捨てられ不安になっている場合を考えてみましょう。
まずは紙にその状況を書きます。出来事を事実に沿って書きます。この場合であれば「何時何分に彼氏に連絡をした。何分経過したが返信がない」となります。
次に自分の思考や感情を書きます。「私のことが嫌いになったからもう連絡したくないのだ。寂しい。悲しい」といった内容になるでしょう。
今度は自分の思考が本当に正しいのかその反論を考えます。「返信が遅いと嫌いになったと言えるのだろうか?もしそうだとしたら世の中のカップルはみんな破局してしまうのでは?」となります。
最後にバランスの良い考え方と変化した感情を書きます。「彼氏にだって都合があるしいつもスマホを見ているとは限らない。今までだって遅れても連絡はくれた。寂しい気持ちが少し治まった」となります。
分かりやすいように短い文章で例文を書きましたが実際にはもっと長くなります。
このように自分の思考を点検し別の考え方を書き出すことで少しずつバランスが取れるようになってきます。
最初は別の考え方を書いても感情の部分で納得できないかもしれません。
しかし意図的に頭で別の考え方をシミュレーションするだけでもその思考回路がつながりやすくなります。脳には神経可塑性といって構造的に変化する性質があるからです。
自分の思考に対する反論が思い浮かばない人はプレゼンをイメージしてみてください。
「返信が遅いから私は見捨てられる」というプレゼンで人を納得させるところを想像してみてください。
「根拠になっていない」という反論が入るはずです。身近な人をイメージすると良いと思います。
その人ならどんな反論をするだろうか?と考えると浮かんできます。
相手の気持ちを想像する訓練にもなる
人間関係というのはどちらかにハッキリと決められない部分のほうが多いです。
彼氏からの連絡がないのも他のことをしていて気づいていないだけというケース以外に色々な事情が考えられます。
気づいてはいるけれど今は手が離せないので落ち着いてからゆっくりと時間をかけて返信しようと考えていることもあります。
何とも思っていない相手なら適当でも良いから即座に返信できても大切な人には時間を掛けて文章を考えたいということもあるのです。
人の思考は複雑で自分の行動を説明できないこともあります。
先ほど説明したバランスの良い考え方というのはこの部分を想像するということでもあります。
この部分の考え方というのは人によって無限のパターンがありますから他人が想像するのは大変です。
「恋人が自分の考えを分かってくれない」というのはこの部分が理解されないことを指している場合が多いです。
他人の気持ちを細かく想像するのは心に負担のかかる作業です。
特に子供時代の愛着の形成が上手くいっていない人の場合は共感性が低くなっているので尚更です。
先ほど説明した紙に書き出す方法は共感性の低くなっている人が相手の気持ちを想像することにも役立ちます。
克服方法:内なる子供を癒す
最後にイメージによって子供時代の自分を癒す方法を紹介します。
見捨てられ不安の人の多くは心の中に癒されていないままの小さな子供を抱えています。
その子供を自分で癒すことにより見捨てられ不安を軽くできることがあります。これは心理療法としても有効な手段です。
(※ただし子供時代の自分とイメージで向き合うという方法は精神的負担の大きな方法です。精神疾患の人や自分がまだ向き合える心理状態ではないという人は行うべきではありません)
まずは目を閉じてゆっくりと深呼吸をしながら温かく落ちついた気持ちになってください。お腹のあたりが温まるイメージです。
そして子供時代の自分が家の中にいるところをイメージしてください。
大人のあなたはそれを窓の外から眺めているのです。はっきりと顔がイメージできなくても大丈夫です。小さな子供がいるということだけ想像してください。
小さな子供は何を感じているでしょうか?
1人ぼっちで寂しいと泣いているかもしれませんし周りの大人を恐れ震えているかもしれません。
「自分は愛されるべき存在ではない」と勘違いをしてしまっているかもしれません。
それでも小さな子供なりになんとか生きようと必死に頑張っています。だから今のあなたが存在しているのです。
家のドアを開けてその子に会いにいきましょう。
その子に声を掛けてあげてください。あなたが子供時代に欲しかった言葉を掛けてあげてください。
言葉が見つからなくても大丈夫です。温かい気持ちのままその子を優しく抱きしめてあげましょう。
そして最後に次の言葉を掛けてあげます。
「あなたは何も間違っていないし悪くない。私はあなたに怒っていない。泣いても良いし甘えても良い。私はあなたの全てを許すことができる」
この言葉によってあなたの心の中にいる小さな子供は安心することができるのです。
一人で寂しくなってしまったときにこの一連の作業を行うことによって気持ちを楽にすることができるのです。
余談ですが映画にもなったジョーン・G・ロビンソンの児童文学『思い出のマーニー』は物語全体がここで紹介した方法と同じような過程をたどる主人公の癒しのストーリになっています。
この本を読むだけでも何か気づきを得ることができるかもしれません。私はいつもこの本を読んだ後にとても温かい気持ちになります。