職場や学校に「自分の居場所がない」と感じているなら、自己に対する認識を誤っている証拠ともいえます。
他の人たちは、居場所があるように見えるかもしれません。しかし、それは表面的なものに過ぎないのです。
みんな、そこに所属しているように振舞っているだけです。あなたが気づいていないだけで、本当は無理をしている人もいるのです。
多くの人が気づいていないかもしれませんが、一人でいるのが嫌なのではないのです。
「一人で寂しい人と思われること」が嫌だと思っているのです。
自分の居場所がないと感じている集団というのは、自分もそれほど好きだとは思っていないはずです。そこで無理をする必要はないのです。
そもそも居場所がないという考え方自体が、どこにいても持つ必要のないものなのです。
自分の立っているその場所が、自分の居場所なのですから。他の人は脇役にすぎません。
グループの中にも居場所がないと感じている人はいる
職場や学校に居場所がない、という悩みを抱えている女性は多いです。
特に女性は群れで行動したがりますから、そこに入れなければ孤独を感じるかもしれません。
例えば、女性社員はみんな仲良くランチを摂るのに、自分はいつも一人だと悩むかもしれません。
しかし、これはラッキーなことです。
なぜなら、そのグループの中には、あなたが知らないだけで、苦痛に感じている人もいるからです。
そのグループに所属したらしたで、その中で「居場所がない」と感じてしまうものなのです。
しかし、一度入ってしまったグループを抜け出すのは至難の技です。だからストレスを抱えながら、今日も生産性のない噂話に付き合うのです。
これはママ友などにも同様のことがいえます。
そういったストレスがない分、あなたのほうが恵まれています。
「一人」が嫌なのか?「孤独と思われること」が嫌なのか?
何年か前のニュースで、大学の食堂がテーブルに仕切りをつけた、という話がありました。
クイズの回答者席のように、両隣にパネルがついているのです。有名なラーメン屋の一蘭のようなスタイルです。
なぜこのような設備を作ったかというと、一人で食事をしている姿を見られたくない学生が多いからだそうです。
大学生にもなってそんなことを気にするのか?と驚いたのですが、これは良いことに気づかせてくれます。
居場所がないと感じている人の中には、「一人でいることが嫌」なのではなく「一人でいると思われることが嫌」と思っている人も多いということです。
人間というのは、群れることに向いているタイプと、一人でいることに向いているタイプがいます。
どちらが良いということではなく、タイプの問題です。両者がいるから社会のバランスが取れるのです。
本当は一人でいたいのに、世間の同調圧力によって、それがいけないことという勘違いをしていないか考え直してみてください。
「ぼっちと思われたかな」などと心配する必要なし
自分の意思で一人でいる人に対して「あの人友達いないんだ」などと思う人はいません。仮にそういう人がいるとしたら、その人自身が孤独を恐れている人なのです。
また、あなたが一人でランチに行くときに、社内の好きな男性にその姿を見られたからといって「ぼっちと思われたかな」などと心配する必要はありません。
男性から見た場合に、何人かで騒ぎながら歩いている女性よりも、一人で歩いている女性のほうが圧倒的に魅力的です。
仲間外れにされたときにどうするのか?
仲間外れを作ってしまう職場や学校では、何が起こっているのでしょうか?
そこでは、不安を抱えた人の数が一定割合を超えているのです。
家庭がうまくいかない、恋愛がうまくいかない、リストラされるかもしれない、といった不安を持っている人はどこの職場にもいるものです。
しかし、その不安が強くなりすぎた人の割合が増えると、全体のバランスが失われ始めます。
するとスケープゴート(生贄)が必要になってきます。
誰かをターゲットにして、それよりは自分は上の立場なのだと思い込まなければ、心の安定が保てないのです。
いじめっ子は家庭環境に問題のあるケースが多く、そこでのストレスや不安を学校で誰かにぶつけてしまいます。
これは大人になっても変わらない構図なのです。
つまり、自分に限らず誰かが仲間外れにされるような集団は、気を使う価値もないということです。
なぜ居場所がないと感じるのか?
あなたが居場所がないと感じてしまうのは「自己が曖昧」だからです。
別の言い方をするなら、ありのままの自分を受け入れることが出来ていない状態です。また、何がしたいのかということが分からない状態でもあります。
こうなってしまう原因はいくつか考えられます。
たとえば子供時代に親から「お前はこの家の子じゃない」などという暴言を吐かれたとします。
すると子供は自分がそこにいて良いのかどうかという、本来であれば持つ必要のない判断基準を持つことになります。
そのせいで、ありのままの自分を受け入れられなくなり、大人になった後もあらゆる場所で「ここにいて良いのかな?」と考えるようになります。
そして、どこにいても「居場所がない」と感じてしまうのです。
また、自分の可能性も信じることが出来ませんから、夢や目標を持つことさえ出来なくなります。仮に持っていたとしても、心のどこかで諦めてしまっているのです。
そのため、今いる場所を通過点ではなく最終目的地のように感じてしまい、周囲の環境や人間を高く評価しすぎてしまうのです。
そして、その中で受け入れられなければ、自分の居場所はないと感じてしまうのです。
自分の居場所がないという考え方が生まれていること自体が、自分に対する認識を間違っている証拠だということに気がつかなければなりません。
ランチの話ばかりになってしまったのですが、これはあらゆる場面で言えることです。
居場所がないと感じないために
表面的なものでかまわないので、職場や学校で居場所を作りたいと思うなら、愛想よく積極的に話しかけるとか、相談するといったことをしていれば良いでしょう。
しかし、このような脆い関係では、拗れたとき余計にストレスを感じることになります。
もっと本質的な部分を変えなければなりません。
横ではなく前を見る
職場は何をしにいく場所かと行ったら、仕事をしにいく場所です。お友達を作りに場所ではありません。
居場所がないと感じている人は、人間関係にフォーカスし過ぎなのです。横ばかり見ているのです。
少し視点を変える必要があります。自分はなんのためにここにいるのか?ということを考えなければなりません。
仕事の完成度を高めること、自分のレベルを上げることに集中すべきです。目の前のことに集中していれば、自分の居場所などという概念さえ浮かんで来ないのです。
具体的な夢や目標を持つ
もちろん、会社を「単なる生活の糧を得るための手段」と捉えてもかまいません。
「この会社は利用価値があるのか?ないのか?」という視点を持っても良いのです。
しかし、それでも自分の人生における具体的な夢や目標を持つべきです。そうすれば、今が辛くとも通過点に過ぎないということが分かります。
今の世の中は、叶えようと思えば、たいていのことは叶うものです。そんな馬鹿な!と思ったかもしれません。
それこそが夢が叶いやすいという証拠です。なぜなら、ほとんどの人があなたと同じように考えて、挑戦しないのでライバルが少ないからです。
居場所を作る側に回る
どうしても居場所というものにこだわりたいのであれば、自分が作る側に回れば良いのです。
自己を受け入れ、やりたいことに向かい始めた人の心は安定するものです。
そのとき、自分の半径1mくらいに落ち込んでいる人を入れてあげるくらいの「心のスペース」はできるものです。
落ち込んでいる誰かを勇気づけられる人間になれば良いのです。
とりあえず、今あなたの居場所がるとしたら、それは自分がいま立っている場所です。