本当に優しい人と安全な所でだけ優しいフリをする人を見分けるのは難しいです。
表面上は同じような特徴しか見えてこないからです。
一つ見分けるポイントがあるとしたら過去に逆境やストレスを乗り越えているかどうかということかもしれません。
こういう人は修羅場でも優しさを失わない強い人でもあります。
自分が強くないことを自覚している人の優しさ
そもそも人はそれほど親密でない人に対して強い思いやりを持つということは少ないです。
自分で優しさと思っているのは偽りの同情だったりします。
崖の上に取り残された犬がニュースで取り上げられると国民が一斉にその1匹に注目します。
そして皆が口を揃えて「可愛そうだ」と言います。
中には役所に「早く助けてあげて」と電話する人もいます。
しかしこういう人たちが普段から動物虐待やパピーミルの問題に関心を寄せているのかといったらそんなこともありません。
そのニュースをきっかけに関心を持つようになることも少ないです。
自分にはそれをするだけの強さがないということを無意識にでも理解しているからです。
このように被害に遭っている対象が1匹(または1人)のときのほうが同情を集めやすいというのは心理学の世界ではよく知られている現象です。日本だけではなく世界中で起こっていることです。
1人にしか同情できないのは偽の優しさ
ニュースで取り上げられた不幸な境遇に同情している人たちは優しい人というよりも同情している自分に酔っている人といえます。
国全体が貧困に喘いでいるというニュースにそこまで同情することはありません。
可愛そうな立場の人間は大勢ではダメなのです。1人でなければならないのです。
これは人間の心理として仕方のないことです。ほとんどの人がこのような偽の優しさとでも言う心理を持っているのです。
1人だけであれば強い自分でなくとも助けられるかもしれないという気持ちになりやすいのかもしれません。
しかし中には可愛そうな立場の人数が増えても思いやりを示す人がいます。
それは自分自身が過去に逆境やストレスを乗り越えた経験のある強い人です。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」
辛い体験をした人は強くなるので大勢にも優しくなれるということを示唆したノースイースタン大学の実験があります。
700人以上を対象にしたこの実験では参加者に過去の逆境体験について報告してもらいました。
病気や怪我、死別、災害被害などです。
そしてそのレベルを「強、中、弱」の3段階に分け「中」だけを除外します。
そうすることでグループを明確に分けることが出来るからです。
それから紛争地帯であるスーダン西部のダルフールの子供たちの置かれた逆境についての説明を読みます。
その後に苦しんでいる子供の写真を見せられました。
写真は1人が写っているものと8人が写っているものがあります。
そしてその子供たちに同情を感じるか?という質問がされました。
弱い逆境体験をした人たちは8人の写真よりも1人の写真のほうに同情をする傾向がありました。
しかし強い逆境体験をした人ではこのような偏りは見られませんでした。
8人の写真に対しても同情を示したのです。
過去に体験した苦しみが強い人ほどより同情の気持ちも強くなりました。
(関連記事:ACEスコア(逆境的小児期体験)の説明と質問紙)
修羅場をくぐり抜けた人は強さを身につけ、それによって他者を救うことができると信じられるため本当の優しさを示せるようです。
アメリカの小説家レイモンド・ソーントン・チャンドラーの探偵小説の主人公のセリフに「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」という名言があります。
これを地で行く人が本当に優しい人なのではないでしょうか。
参考文献:Lim Daniel, DeSteno David. (2019). Past adversity protects against the numeracy bias in compassion.