共依存の相手がいなくなったら?残された側はどうなるのか

共依存
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共依存とは一言で表現するなら「求められることを求めている状態」です。

アルコールや暴力、モラハラ、借金、浮気などをするダメな男性と、その面倒を見ながらそこに自分の存在価値を見出し離れられなくなっている女性という組み合わせが多いです。

ではこのダメな男性が逃げたり死んだりしていなくなった場合、残された女性はどうなるのでしょうか?

共依存の相手がいなくなったら

共依存の相手がいなくなったらどうなるのかというと、大まかに次の3つのパターンがあります。

  • 復縁しようとする
  • 新たな相手を探す
  • 過去の関係を正当化する

最初の2つは理解しやすいと思いますが、残りの一つについても中年期以降はよくあることです。

特に共依存に陥っていた夫婦でモラハラ夫が死んだときなどに、このような行動を取る妻は少なくありません。

そしてそのことがアダルトチルドレンで悩むその子供の克服を邪魔することもあります。

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共依存だった妻は悲しんでいる

妻に散々暴力を振るった夫が死んだとします。

妻は清々しているかと思うとそうでもないのです。

悲しんでいるのです。毎日仏壇に手を合わせたりしいます。

「お父さんは良い人だった」くらいのことまで言い出したりするのです。

共依存に陥っていた妻にはよくあるケースです。死んだからといって共依存が解けるわけではないのです。

新たな心の過程がはじまるのです。

「良い人生だった」と思いたい願望が汚点を消したがる

発達心理学者のエリク・H・エリクソンが提唱した発達段階説というものがあります。

簡単にいうと人間が成長する過程ごとに課題があり、それを乗り越えることによって健全な心を持つことができるというものです。

この説では人生を乳児期から老年期までの8段階に分け、それぞれに課題が存在するとしています。

最終段階である老年期の課題は「統合」です。

今までの人生でやってきたことそれぞれの点が線としてつながることを認識する段階です。

これがなされないと「意味のあるいい人生だったな」と思えません。

悪い人生だったと思うと余命を考えたときにやり直す時間がありませんから絶望してしまいます。

そうならないようにするため、仮に悪い人生だったとしても過去の汚点をなかったことにしようとするのです。心を守るための機能が働くのです。

全てなかったことにする

共依存状態で苦しめられた妻も「統合」の段階になると良い人生だったと思うための準備に入ります。

その中でDV夫からの暴力もなかったことにします。又はただの愛情表現と捉え直すかもしれません。

自分がされたことだけではなく、したこともなかったことにします。

子供を虐待したとしてもなかったことにします。

虐待について子供側が思っているほどには毒親が重要に受け止めていないことがあるのはこのようなパターンも多いです。

そのことが子供のアダルトチルドレン克服に悪影響を及ぼすこともあります。

仏壇に手を合わせるのは愛していたからではない

妻が夫の仏壇に毎日手を合わせるのは愛していたからではありません。意識のうえではそうかもしれませんが…

妻はDV夫の暴力に耐えてきました。というより見捨てずに世話をしました。

そこに生きがいを見出していたのです。 共依存の状態だったのです。

しかし共依存の相手がいなくなったらやることがなくなります。

その代わりとして仏壇に手を合わせるのです。月命日に必ず墓参りをしたりもします。

何故そこまで出来るのでしょうか?

それはそこに自分の存在価値を見出しているからです。共依存とはそういうものです。

相手に対する愛情と本人は思っているかもしれません。しかしそれは自分のために行っているのです。

彼女たちは自分の人生が良いものだったと思うための準備に入っているのです。

中年期以降に新しい共依存の相手を探さない理由

共依存に陥る原因は愛着の不安にあることが多いです。安定した愛着を持っていれば共依存にはなりにくいです。

ミシガン大学のウィリアム・ショピック博士らの研究によると、愛着の不安は自分から何かしなくとも、中年期以降に減少することが分かっています。

つまり若い頃は共依存の相手がいなくなったら、すぐに復縁するか新しい相手がいなければいても立ってもいられなくなるでしょう。

しかし中年期以降では、新しい共依存の相手を探すのではなく、過去の自分たちの関係が間違っていなかったと思い込む準備に入るのも不思議ではないのです。

当然、その中では自分の行動も間違っていなかったと思い込むこともあります。

親から虐待された人は、親がそのことに対して罪悪感を持っていないように見えると怒りや悲しみに苛まれるかもしれません。

しかし、だからといって自分の存在はその程度のものだったと思う必要はないのです。

親は死の準備に入っているだけなのです。

参考文献:William J. Chopik, Robin S. Edelstein, and R. Chris Fraley. (2013). From the Cradle to the Grave: Age Differences in Attachment From Early Adulthood to Old Age.

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