DV被害者の母親はなぜ父親の死後に暴力をなかったことにするのか?

DV被害者の母親はなぜ父親の死後に暴力をなかったことにするのか?

母親に散々暴力を振るった父親が死んだとします。

母親は清々しているかと思うとそうでもないのです。

悲しんでいるのです。毎日仏壇に手を合わせたりしいます。

「お父さんは良い人だった」くらいのことまで言い出したりするのです。

共依存に陥っていた母親にはよくあるケースです。死んだからといって共依存が解けるわけではないのです。

新たな心の過程がはじまります。

「良い人生だった」と思いたい願望が汚点を消したがる

発達心理学者のエリク・H・エリクソンが提唱した発達段階説というものがあります。

簡単にいうと人間が成長する過程ごとに課題がありそれを乗り越えることによって健全な心を持つことができるというものです。
乳児期から老年期まえ8段階に分けた課題があります。

アメリカやヨーロッパの男性をモデルにしたものなので全ての人には当てはまらないという批判もあります。
しかし私がカウンセリングをしている中ではかなり使えるというか人の心の状態を説明するのに有用なものだと思います。
だから未だに「心理学史」以外の教科書にも必ず載っているのでしょうが。

発達段階説の最終段階である老年期の課題は「統合」です。

今までの人生でやってきたことそれぞれの点が線としてつながることを認識する段階です。
これがなされないと「意味のあるいい人生だったな」と思えません。

悪い人生だったと思うと余命を考えたときにやり直す時間がありませんから絶望してしまいます。

そうならないようにするため仮に悪い人生だったとしても過去の汚点をなかったことにしようとするのです。
心を守るための機能が働くのです。

その中でDV夫からの暴力もなかったことにします。

自分がされたことだけではなくしたこともなかったことにします。
子供を虐待したとしてもなかったことにします。

虐待について子供側が思っているほどには親が重要に受け止めていないことがあるのはこのようなパターンもあるのです。

仏壇に手を合わせるのは愛していたからではない

なぜ母親は父親の仏壇に毎日手を合わせるのはなぜでしょうか?

これは愛していたからではありません。意識のうえではそうかもしれませんが…

母親はDV夫の暴力に耐えてきました。というより見捨てずに世話をしました。

そこに生きがいを見出していたのです。 共依存の状態だったのです。
しかし世話すべき相手がいなくなったらやることがなくなります。

その代わりとして仏壇に手を合わせるのです。
月命日に必ず墓参りをしたりもします。

何故そこまで出来るのでしょうか?
それはそこに自分の存在価値を見出しているからです。共依存とはそういうものです。

相手に対する愛情と本人は思っているかもしれません。
しかしそれは自分のために行っているのです。

彼女たちは自分の人生が良いものだったと思うための準備に入っているのです。

なのでそっとしておいてあげてください。

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