「毒親ざまぁ見ろ」でも問題なし!道徳は暗記科目

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毒親を許すとか許さないということに固執すると問題が解決できなくなることがあります。

なぜなら怒りを消すためにはその二択のみが正しい方法ではないからです。

このような考え方を持ってしまうのは暗記科目としての道徳の価値観に影響されてしまっているからです。

許そうと許すまいとどちらでも良いのです。毒親の不幸な末路を見て「毒親ざまぁ」と思っても罪悪感を持つ必要はありません。

毒親を許せないとアダルトチルドレンは克服できないのか?

世の中が教科としての道徳に毒されている

私事ですが小学生のときに教壇の上に先生用の道徳の教科書が置きっぱなしにされていたことがありました。生徒用のものと違って赤字で補足が書いてあるものです。

こんなときどうするべきか?と生徒に聞いたときにこんな答えが返ってくると望ましいということまで書いてありました。

試しに授業でその内容をそのまま回答してみました。そしたら先生に凄く褒められました。

このとき私は喜びはしませんでした。「なんてアホなことをしているんだろう」と思ったのです。

皆でイイ人ごっこの模範解答を探しているだけだと理解できたからです。このときから私の中で道徳は暗記科目になりました。

そして暗記科目としての道徳的正しさはエンタメの世界にも蔓延っています。

ドラマでも映画でも仲違いしていた二人が理解しあって終わるというシーンが多いです。そしてそのパターンにスッキリする人も多いです。

毒親が子供の幼少期に書いた「お母さん大好き」の手紙を偶然見つけて悔いを改めるとか、警察に崖の上で説得されて心が動くというシーンが多く描写されます。

毒親育ちの人はこういったシチュエーションに違和感を覚えると思います。そしてそう思う自分は変なのかと心配になるかもしれません。

でも安心してください。私のような仕事をしている人も同様に違和感を覚えています。

「毒親がそんな簡単に変わらないよ、一ヵ月後には再び邪悪な側面を出してくるよ」としか思いません。

余談ですが和田秀樹監督の『受験のシンデレラ』には毒親が出てきますがラストにイイ人になるという描写はありませんでした。さすが精神科医でもある和田監督だと思いました。

毒親じゃないのにアダルトチルドレンになるパターン

「毒親ざまぁ」でスッキリしても良い

そもそも教科書的な道徳の価値観に沿った行動が人間の精神衛生上もっとも正しい選択であるというエビデンスはないのです。みんな雰囲気でなんとなくそう思っているだけです。

毒親を許すことによって心の安寧を手にする人もいれば縁を切ったり、仕返ししたほうが良い人もいるのです。不幸な老後を見届けて「毒親ざまぁ」と思ってスッキリしても良いのです。どのパターンもあり得るのです。

それらが本当に克服できているかはこちら側では確証は持てません。相談に来た人が言葉では「解決しました」と言ってくれても自分に無理やり言い聞かせている可能性もあるからです。

(関連記事:反抗期のない恐ろしさ

この人は完全に克服できたと思うのは気にならなくなった人を見たときです。

こちらから「どうですか?」と聞かれたときに「そういえば最近親のことをほとんど考えていなかった」と思い出すくらいの人です。そういった人はもう気にならなくなっているのです。

これは毒親との関係が変化したというよりも自分が変化したからです。親と絶縁状態にあろうと死んでいてこの世にいなかったとしても自分が変わることで気にならなくなります。

まずは毒親を許すことが最高の方法という錯覚を捨てましょう。あなたの感覚は間違っていません。

表紙に「効果には個人差があります」という注意書きが入っていない道徳の教科書が間違っているのです。

※ただし毒親との絶縁には注意しなければならないこともありますから早まらないでください。

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